
江戸末期、浮世絵にも梅や松の盆栽が多く登場し、庶民の文化としての園芸が花開いた時代、初代庄之助が現在の台東区根岸のあたりに創業いたしました。
当時、根岸の里は上野の山から湧き出る清水が豊富で、後の明治・大正期にかけても画家や書家などの文人墨客・歌舞伎役者・長唄の師匠・商家の別荘などもある、独特の雰囲気のある場所であったと伝え聞いております。
清香園の屋号の由来は、その当時根岸周辺に梅林が多かったこと、また梅の盆栽を多く手がけていたこと から「清く香る園」といたしました。二代目初五郎は、薄鉢で竹の盆栽を作ることを得意とし、三代目釜次郎は石付き盆栽を得意としました。この釜次郎の代で太平洋戦争の戦災を逃れて大宮の盆栽村に移住。
現在は、四代目の登美男が園主で、盆栽種全般を扱っております。多くの樹種を手がけ、種別に研鑽して参りましたことは、清香園の貴重な財産であると考えております。
さいたま市北区の盆栽町(通称盆栽村)には毎日、海外からのお客様が訪れています。世界に誇る日本の園芸文化、盆栽を微力ながらも、守り伝えて参りたいと考えております。