盆栽の歴史と清香園の歴史      
     盆栽の歴史      
 

盆栽の歴史

世界の共通語
「 BONSAI」

清香園の歴史

清香園の起源

清香園の
屋号の由来

清香園の略歴


盆栽の「盆」は鉢の意味、「栽」は鉢の中で育てられる植物の意味です。 そして、その植物を通して、自然の大きな風景を表現するとという大命題を 持つものが盆栽です。
単に、植物を育てる楽しみに加え、風景創造というイマジネーションの遊びでも あります。

盆栽の起源は、遠く平安時代に遣唐使が持ち帰った「盆景」ではないかという説が ありますが、植物自体の姿に、日本の風土や自然観を見出し、姿を整える技法は 日本独自のものであります。
現在も三代将軍、家光遺愛の五葉松などその歴史を裏付ける盆栽が、都立園芸高校や皇居の盆栽に残っています。
古くは平安末期の絵巻物の中に、盆栽が描かれていますが、約千年以上の時を経て、日本の伝統園芸文化として発展してきたものです。

 
ひとつ、ひとつの盆栽にもまた歴史があります。
 
   

世界の共通語「BONSAI」

現在、盆栽という言葉は世界共通語になっています。
権威あるといわれる、ケンブリッジやオックスフォードの 英英辞典にも、bonsai の語で、載せられています。
世界各国に広がる、盆栽の輪がこれからも拡がり続けることを 願っています。

 
BONSAIは世界共通語。世界各国で月刊誌が発売されています。
 
     清香園の歴史       
 
三代目園主
釜次郎

清香園の起源
江戸時代、嘉永年間の創業でございますが、そのころの江戸の町で は長い盆栽史の中でも、最も庶民の文化として花開いた時代といわれています。
例えば、浮世絵にも梅や松の盆栽が多く登場するのもこの頃です。
その頃、初代庄之助が現在の台東区根岸のあたりに園をかまえました。
その頃の根岸の町並みは、後の明治・大正期にかけても、画家や書家などの文人墨客・歌舞伎役者・長唄の師匠・商家の別荘などもある、独特の雰囲気のある場所であったと伝え聞いております。

清香園の屋号の由来 
今も上野や根津・谷中あたりを散策すると起伏の多い地形であることがわかりますが、当時は上野の山から湧き出る清水が豊富で、鶯が越冬して多く棲む谷、という意味から現在の鶯谷(JR鶯谷駅周辺)という地名が付いたそうです。
庄之助が創業した根岸は、この鶯谷に隣接していることから、当時の屋号は鶯谷園(オウケイエン)でございました。しかし、近くに大谷園という屋号の盆栽園があり、紛らわしいことから二代目・初五郎の代で現在の清香園という屋号に改めました。
清香園の由来は、その当時根岸周辺に梅林が多かったこと、また梅の盆栽を多く手がけていたこと から「清く香る園」としたのでございます。

清香園の略歴 
その後、三代目釜次郎の代で、太平洋戦争の戦災を逃れて大宮の盆栽村に移住。
現在は、四代目の登美男が園主で、盆栽種全般を扱っております。多くの樹種を手がけ、種別に研鑽して参りましたことは、清香園の貴重な財産であると考えております。
 
都市部にありながら、一歩園内に足を踏み入れば、
車の騒音とは無縁です。
 
         
 
現在の清香園の門
 


門の看板のアップ 。
「緑心」の文字

 
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